| にっぽんの夏には青空がよく似合う |
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長い長い梅雨が明けると、今度は照りつける強い陽射しの出番です。
日焼けを気にするひとたちにとっては、はたしてどちらが良いのか、さぞ悩ましいことでしょう。
それでも梅雨が明けた嬉しさはまた格別で、夏の紫外線を恐れる女性たちも、とりあえず太陽の輝きを歓迎しているように見えるのは私の欲目でしょうか。
夏の青空は一年で最も美しい青空で、白い雲との対比が引き立てるために一層鮮やかに見えます。
ところで日本の夏空には、入道雲(にゅうどうぐも)が付き物で、地平線からむくむくと湧き上がったかと思うと、あっという間に頭上まで広がって、突然雨がざっと降ってきます。
その予告編は「ゴロゴロ」というカミナリの音。
そして「ピカッ」と光る稲光(いなびかり)。
夏には夕立と相場は決まっていて、強い陽射しに焼けて乾いた地面が通り雨にほどよく洗われて、爽やかな一時が訪れる。
──というのが、かつての「日本の夏」であったはずなのですが、近年の夕立は、まるで熱帯地方のスコールのように、水をぶちまけたような土砂降りです。
地球規模の異常気象がここにも現れているということで、どうやら日本は急速に熱帯化しているようです。 |
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| カミナリ様は、鬼の姿? |
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それでも変わりのない気象もあって、その代表が「雷(カミナリ)」です。
別名「稲妻(いなづま)」という古風な呼び名もあります。
正しくは漢語で「雷(ライ)」、和語で「神鳴り(カミナリ)」であって、雷をカミナリと訓読するのは和漢融合なのです。
しかし雷は、「神・鳴り」だから、実は「音」のことなのです。
「ゴロゴロ」という、あれですね。
これに対して「稲妻」は「稲光り(いなびかり)」ともいうように、稲のような形の光ということで「光」の呼び名なのです。
日本では古来、音と光とを別々に呼び分けていたという訳ですね。
もっとも今では稲妻や稲光はほとんど死語のようになってしまって、もっぱらカミナリで統一されているような感があります。
稲の実る風景が昔ほど身近かなものでなくなってしまったことも理由の一つなのでしょう。
ところで、カミナリは「神鳴り」が語源ですから、神様として祀る神社も全国に少なくありません。
その神様は、どんな姿をしているかというと──。
古い絵双紙などに描かれたカミナリ様の姿は、虎の皮のパンツをはいた鬼の姿で、背負っている太鼓を打ち鳴らすということになっています。
「♪雷さんは野暮なかただよ 臍(へそ)ばっかりねらって」という都々逸(どどいつ)がありましたが、私が子供の頃にはおなかを出しているとカミナリ様に「へそを取られる」などと教えられました。
でも、カミナリの歴史にそんな謂われはまったくないので、きっと、子供がおなかを冷やさないようにと考えた、昔の人の智恵なのでしょう。
カミナリの最も古い日本での呼び名は「なるかみ(鳴神)」や「いかづち(厳つ霊)」で、まさに神様のことです。
実に格調高いヤマト言葉ですね。
また稲妻・稲光は、空中放電によって光る火花のことです。
「稲」の「妻」という関係を不思議に思われるかもしれませんが、これは田植え稲の季節にカミナリが多いのと、「恵みの雨」をもたらす象徴であるところから名付けられたものでしょう。
元々は「稲夫(いなづま)」と書きます。 |
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| 天神様が降臨したらたいへん! |
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最近はほとんど聞かれなくなりましたが、梅干しの種の中身のことを、俗に「天神様」と呼びます。
梅干しを食べ終わった後、その種を噛み割ると、中から煮豆のような核が出てきます。これが「天神様」です。
たしかに食べてみると、けっこうおいしいものですが、よほどしっかり昔風に漬け込んだ梅干しにのみ許される味覚です。
梅は、青梅や種には微量の青酸毒が含まれていて、そのままたくさん食べると「あの世行き」です。
でも、梅干しになると、その毒が中和されます。ただ、最近は、いい加減な梅干しが多いので、くれぐれもご注意を!
ところで、梅干しの核を「天神様」と俗称するのは、菅原道真(すがわらのみちざね)にちなんでいるからです。
菅原道真(895〜903年)は、いまは「学問の神様」ということで、もっぱら受験生の神頼みが集中しているようですが、元来はなかなか怖い神様です。
道真は、菅公・菅丞相と称され、平安時代前期の学者・政治家です。
右大臣にまで上りつめましたが、延喜元(九〇一)年、藤原時平の謀略によって太宰府へ権帥として左遷され、二年後の延喜三(九〇三)年に怨みを残しながら配所で亡くなりました。
その廟所を祀ったのが太宰府天満宮、京都の屋敷跡に祀ったのが北野天満宮です。
東京の湯島天神など、全国の天満宮・天神社約14,000社の大元です。
道真の死の直後から、都には疫病、日照りなど、多くの異変が立てつづけに起こり、ついには御所の清涼殿に落雷し、多数の死傷者が出ました。
これらの事件を道真の怨霊のたたりとして恐れたため、朝廷は道真の罪を取り消して本来の右大臣に復し、正二位を追贈、さらに正一位・太政大臣を追贈しました。
このように道真の怨霊は恐れられたのですが、平安時代末ころからは信仰の内容が次第に変質し、『天神縁起』などによれば、むしろ慈悲の神、真実の神であると記されています。
また、江戸時代に入ると、道真がすぐれた学者・文人であったことにちなんで、学問・学術の神として信仰されるようになりました。
ところで、雷が鳴りだしたら自分のところへ落ちないように「くわばら、くわばら」と唱えるのは、道真の屋敷跡が桑の原になっていて、そこだけは落雷したことがないという説話に基づく一種の呪文ですが、いまは使うひともあまりいないかもしれません。
なお、落雷する稲妻の形が龍を彷彿(ほうふつ)させるところから、各地の池や滝にまつわる龍神伝説とも深い関わりがあります。これはこれで興味深い話が豊富にあるので、あらためて別の機会に譲ることにいたしましょう。 |
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| 避雷針に天神様が降臨? |
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さて、これからの季節、家の中でカミナリ対策が必要なのはパソコンです。
大規模共同住宅、いわゆるマンションには避雷針が標準装備されていますが、一戸建ての場合には原則的に個人で対応しなければなりません。
避雷針は、人や建築物を落雷から保護する設備のことで、ベンジャミン・フランクリンが1753年に発明。建築物の突端に設置して、地中の銅板まで電線(アース線)をつないで電流を逃がすものです。
避雷針の先端から頂角60度の円錐形内が落雷から保護されます。
日本では、建築基準法により、20メートル以上の建物には避雷針(避雷設備)の設置が義務付けられています。
ちなみに、日本で最初の避雷針は、1875年(明治8年)、石川県金沢市の尾山神社の楼門に設置されたもの。
さて、とくに落雷対策が必要なのがパソコンです。
通常の電話回線で有線接続していると危険、──と思っていたら大間違い。
電源のコンセントから伝わって、パソコンは一瞬にしてお釈迦(シャカ)になってしまいます。
釈迦ならぬ天神様のご来臨、などとありがたがっている場合ではありません。
データは破壊されて、ハードもかなり破損してしまいます。
天神様に祈っても、こればかりはどうにもならないので、落雷対策のタップは不可欠です。
なお、電源が入っていなくても破損しますので、道真公にはくれぐれもご用心。くわばら、くわばら……!
(第14回 了)
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